京都民医連第二中央病院広報誌 2005年11月発行 号外

1980年代

厳しい医療情勢
法人、京都民医連内の役割りを深め、第3次発展計画を策定。経営的には打撃

左京区内の団体・個人の方と共に 左京健康まつりを開催7000名が集いました

 安井病院の第3次発展計画は1985年12月より検討が始まり①医療活動を総合的に一層進める。②政府の医療破壊に対して闘う体制の強化。③京都民医連の長期計画に寄与する。の3点を基本的考え方として具体化がはかられました。改修と転用等を繰り返さざるをえない施設状況の改善。厳しくなる医療情勢と経営環境の打開。医学・医療の進歩から10年・20年先の病院機能を考える視点を提起しています。

 腎、透析分野の展開を柱に位置付け、整形外科の開設、機器設備の充実等がすすめられました。1985年には、第一回左京健康まつりを開催、7000名が集いました。その一方で、政府の医療費抑制政策のもと、入院医療等は打撃を受け、経営的には大変厳しい状況となりました。


医療、社会保障にとって大きな転機となった80年代

高血圧患者会、糖尿病患者会の合同健診

なかよし会

多くの市民に訴えました

健康のこと社会保障のこと多くを学ぶ友の会

1987年京都民医連のセンター病院が中京区にオープン

創立25周年

年表

年度 社会情勢 病院・信和会の事業 医療活動・社会保障の取り組み
1980(S55) 富士見産婦人科事件 創立25周年記念のつどい(教文センター)
消化器外来開設
人工腎臓患者会「しんあい会」発足
1981(S56) 6.1診療報酬抜本改訂
第二次臨調
  京都府救急医療情報システムに参加
1982(S57) 老人保健法公布   左京救急隊との第一回懇談会
1983(S58)   整形外科外来開設  
1984(S59)   大宅診療所開設(山科区)  
1985(S60) 健保、医療法、老人医療改悪反対運動 創立30周年のつどい
市内2次救急病院群輪番体制病院となる
整形外科病棟開設
第一回左京健康まつり開催(7000名参加) 知恩寺
1987(S62) 老人保健法改正 京都民医連中央病院開設(中京区) CT導入、左京医師会員による安井病院見学
1988(S63)   第3次発展計画策定
HCU(14床)稼動
 
1989(H1) 消費税3%、天安門事件 経営状況の悪化
精神科デイケア開設
 

元院長
足立 道五郎

 私は満州の関東軍軍医で勤務中終戦になり、ソ連軍の捕虜、続いて中国の解放軍に留用され1953年にやっと帰国しました。妻が野神町の安井医院に就職でき、院長の安井信雄先生に初めて面識を得ました。私は医療技術の遅れに困って京大病院外科に復帰し、その後高松日赤病院に赴任しました。この間先生は出張の度ごとに御訪問いただいて新設された安井病院の状況や将来構想を話され、1967年に御要請に従って、同院外科に就職しました。初めて京都民医連に属して、当時の安井院長や山本副院長のもとに看護師さん、職員の方とも親しくなり、手術数も多く、非常に楽しい勤務ができたことを思い出します。

 その後、院長・副院長の逝去、蜷川府政の終焉があり、日本の政治や医療情勢の悪化が年々激しくなり、私たちも病院・民医連も悪戦苦闘が続きました。併し極めて多数の患者様と地域の方々と親密な関係と熱烈な御應援をいただいて、努力して現状を乗り切ってまいりました。私が職を離れて既に10年を越えました。京都民医連と共同組織全体の力で安井病院も第二中央病院として発展してこられましたが、政治も医療も情勢はさらに悪化しています。更なるご奮闘と発展を願ってやみません。