京都民医連第二中央病院広報誌 2006年10月発行 vol. 7

ベトナム障害児の今と未来

 私たち3名は、「NPOベトナム・タイニン省の地域リハビリテーションを支援する会」(以下、支援する会)(http://www.eonet.ne.jp/~tayninh/)の一員として、総勢37名で、7月30日に日本を出発し、7月31日から8月2日まで、ベトナムのホーチミンより北西、カンボジアとの国境沿いにある、タイニン省を訪問しました。

 ベトナム戦争が終わって、31年が経っていますが、アメリカが兵器として使用した枯葉剤は、それを浴びた人に病気を起こしたのみならず、今なお、枯葉剤の影響とも考えられる先天障害で苦しむ人たちが数知れずいます。しかしながら、枯葉剤と先天障害の因果関係はいまだに明らかにはされていません。そんな中、支援する会は、10年ほど前よりベトナムの各地を訪問し、枯葉剤の被害調査を行ってきました。日本とは生活・文化が異なるところであり、全貌の把握は困難ですが、調査活動を進めていく中で、医療水準の低さ、医療へのアクセスの悪さ、社会資源の乏しさ、医療スタッフの質・量両面での遅れなど、ベトナムの抱える大きな医療矛盾も見えてきました。

 現在、行政が主導する形で障害実態調査が実施され、地域の力に依拠した医療・リハビリテーションが模索、試行されています。こうした状況を目の当たりにして、私たちもできる範囲で支援を行おうと強く思い、細々とながら援助活動を行ってきました。メンバーは医師、教育関係者、看護師、リハビリテーションのスタッフ、医療事務、学生など徐々に幅広くなり、それはそのまま活動の幅を広げ、在宅訪問やリハビリテーションの指導といった形で発展につながってきています。そして、昨秋には、NPOとなりました。

 そして今回の訪問では、健診、リハビリテーションの指導、在宅訪問、助産師や教育関係者との懇談を行いました。

 

看護師 丹野 ひろみ

 シンチャオ!(ベトナム語でこんにちは)私は、今回はじめてベトナムに行ってきました。このNPO活動を知ったのも最近のことだったのですが、是非参加したいと思い、同行させてもらいました。

 私は、3日間、障害児の家庭を訪問し、いろいろな調査をさせていただきました。調査内容は、①障害児の健康状態 ②CBRワーカー(注)の実態 ③生活実態 ④介護者の健康状態 ⑤助産 ⑥教育などでした。

 ベトナムの子供たちは笑顔がとても素敵でした。私たちが歩いていると、子供たちが後ろから付いてきて、気がつくと長い行列が出来ていることもありました。歩いている途中にとても元気な5歳くらいの男の子に会いました。ふとその子の手を見ると、指が6本!! こんな小さな町に障害のある子供たちがたくさんいる…やっぱり、戦争・枯れ葉剤の何らかの影響があるんじゃないかと考えさせられました。

 タイニン省のほとんどの家庭が農家なのですが、収入に対して医療費がとても高額だと感じました。一般家庭には上下水道がなく、水は、雨水を瓶に貯めておく。お風呂やトイレは無い家庭も多く、あっても庭先に小さな囲いがあるといったように不衛生な環境でした。しかもその自宅で出産すると聞いて驚きました。

 ベトナムでは、まだリハビリテーションという概念が根付いていないようで、その子の能力を引き出して出来ることを増やしていくという考え方は、あまり見られませんでした。

 CBRワーカーという、日本で言う訪問リハビリスタッフがいるのですが、その方たちはボランティアで、リハビリテーションの知識や技術も未熟です。障害のある子供たちにとって、教育とリハビリテーションは欠かせません。今後、CBRワーカーをどのように育成していくのかという課題もあります。

 ベトナムの人々の生活にここまで踏み込んで調査させていただく機会は滅多になく、とても有意義な訪問でした。しかし、文化も生活環境も違うこの国で、看護師の私に何が出来るのかと考えると無力感でいっぱいになります。生活指導?生活リハビリ指導?一人では何も出来ないかもしれないけれど、今回の訪問で、ベトナムのことが大好きになったので、この活動を続けていきたいと思います。

(注):CBR(Community-Based Rehabilitation)「地域に根ざしたリハビリテーション」

 

理学療法士 若田 哲史

 健診では水頭症、口蓋裂、精神遅滞の子供など6~7人の色んな子供を見させてもらいました。でも、彼らに指導しようとしても日本の病院や教科書の価値観では通用しません。文化や環境が変わって言葉がうまく通じないとこうも大変なものなのか?! と思いました。

 例えば、ある男の子は左右で足の長さが違いました。理学療法ではこういう場合は足底板や補高靴を履くよう指導します。しかしベトナムではみんなサンダルか裸足であることに気付きました。どうしよう。とりあえず「できるだけ短いほうの足のサンダルを高くするように。特に今は成長期だから骨が変に伸びて体が曲がってしまうよ」と通訳の人に言ってもらいました。でもこれで本当に良かったのでしょうか? 全てがこんな感じです。木を削って杖を作るところからはじめないといけないくらいの環境に衝撃を受けました。医療に対する考え方も、子供に対する考え方も、そして経済的な面も日本とは根本的に違い、もしもこの意識が変わればこの子供達はどれだけ救われるのだろう?と感じました。

 レントゲンもなく、血液検査もなく、視診や問診で推測して診察する。昔は日本でもこうして医療を行っていたに違いありません。今回参加して日本でいつの間にか曇っていた眼が開けた気分になりました。それと、やはり今回出会った子供達の将来を考えると正直辛かったです。夢があり、希望があって、明るい未来があって、笑顔を持っている。そんな子供達の命はこんなにも軽んじられていいのでしょうか? 大部分の人がそうであるように、自分の生活の安定だけを考えて生きていくこともできますし、周りに無関心でも仕事はできます。でも彼らと対峙したときに、本当にそれでいいのか?と思ってしまいました。

 

医師 山西 卓

 脳性麻痺、口唇裂や先天性心疾患、全盲、精神発達遅滞や自閉症、火傷や斜視などの子たちがいました。ほとんどの子が、医師に一度は診てもらっていますが、一度きりで、運良く、県の援助で手術してもらえたとしても、その後は診てもらわず、もう一度手術が必要な場合でも手術していません。その原因のほとんどは経済的な理由です。一度の受診で一ヶ月の給料の半分以上かかることも少なくありません。ましてや、手術費用など到底、用意できません。また、家族や医師は、障害があると社会に参加していくことは無理と考え、学校には行かせず、家の中だけで生活させようとする傾向があります。確かに社会に参加して世界を広げることにはハードルがあることが多いですが、中には十分参加していくことができるようになりそうな子もいます。その子の世界を広げるという発想自体がそもそもでてこないようです。

 助産師との懇談では、日本では信じられないような状況を聞くことができました。一つは妊婦検診の回数です。妊娠中に検診を受けた回数の多くは3回です。最初と中間と出産直前の3回です。0回ということも稀ではありません。助産師はもっと回数を増やしたいと考えていますが、経済的な理由で頻回の検診には行けません。もう一つは、出産時のことです。陣痛が始まっても、しばらくは家にいて、数時間たっても産まれない場合、バイクに乗って病院に行きます。

 今回の訪問を通じて、経済的な理由で十分に受診できないことがあまりにも多すぎると思いました。体の異常は心配でないはずがありません。しかし、医師に診てもらうことができない。診てもらって、治す手段もあるが、それができない。人生を左右することであり、なんとかしたい気持ちは非常に強いけれど、あきらめざるを得ない。そんな人が一人でもいなくなるように、自分にできることを探していきたいと思います。

ベトナム滞在こぼれ話

 自由時間がもてた最終日、僕は一人でホーチミン内をぶらぶらしていました。 ベンタイン市場をうろついていた時、 「お兄さん、コーヒー買わない??」と堪能な日本語で女の子が声をかけてきました。 その女の子の、縮れ毛で、斜視で、一重まぶたの、その決して美しいといえない顔にはどこか見覚えがありました。 5年前、僕は旅行でホーチミンに来た時に同じように同じ場所で、その子に声をかけられたのでした。 僕は、5年前と同じようにその子の後について店に行きました。 僕は彼女に年を尋ねました。 「年はいくつですか??」「20歳」 当たり前ですけど、その子は5年前15歳でした。 その子は5年間、毎日コーヒーを売るために市場で声をかけていたのです。 「僕は5年前、あなたにあったことがあります。あなたはもっと小さかった」「そう?」「店大きくなったね」「結婚した。ちっちゃい子もいるよ。夫の店が鞄屋です」前は1坪ほどの土地で母親とコーヒーを売っていたその店は、倍ほどになっていて、色々な種類の品物が置いてありました。 僕は、その子と他愛もない話をして、前と同じように一番高いコーヒーを買って、一緒に写真を撮りました。 そして「仕事がんばってね」といって別れました。 彼女は「またいつか」と言っていました。 今回のツアーと前回の貧乏旅行。 まったくつながりのないと思われた旅行が、点と点が線になったような、つながったような気持ちになりました。 彼女はこれからもずっとコーヒーを売り続けるのでしょう。 僕は、これからもこんな感じで生きていくのでしょうが、すれ違い、そしてめぐり合いを感じたひと時でした。 (若田)