京都民医連第二中央病院広報誌 2005年11月発行 号外
1950年代
病院開設の頃
自分たちの手で病院をつくろう!
1000人近い方の協力と安井信雄先生の決意で
安井病院開設
1955年(昭和30年)公益法人信和会の設立が認可され、同年7月11日に安井病院開設。安井信雄先生の決意を受けて個人所有から集団所有に移行し、多くの方の10円、50円の積み立てで病院化が成功しました。病院開設と同時に全日本民医連(全日本民主医療機関連合会)に加盟。民医連 はちょうど綱領策定の議論が活発に行われ、「国民の要望に沿う親切で良い医療に徹しよう」「国民と手を結んで医療と健康を守ろう」という二つの綱領が決められました。安井信雄先生は京都民医連の三代目の会長に就任し、以降12年にわたり京都民医連の発展のために尽くしてきました。
小児科山本副院長
伊勢湾台風に医療団派遣
気軽に往診する安井先生
全体会議で報告する安井院長
養正小学校で平和と映画のつどい
1956年健保改悪反対闘争 左京医師会の隊列に参加
年表
年度 | 社会情勢 | 病院・信和会の事業 | 医療活動・社会保障の取り組み |
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1955(S30) | 森永ヒ素ミルク事件 | 社団法人信和会設立 第一次病院建設のための募金始める 7月11日 安井病院開設、ベッド数40床開設時の診療科 内科、外科、小児科、産婦人科、放射線科 全日本民主医療機関連合会に加盟 |
開設時の診療科 内科、外科、小児科、産婦人科、放射線科 |
1956(S31) | 健保改悪反対闘争 | 胃腸のX線透視始まる |
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1957(S32) | 病床数70床に増床 | 安井病院労働組合設立 |
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1959(S34) | 小児麻痺集団発生 伊勢湾台風 |
吉田健康会設立(友の会の前身) | いっせい地方選挙、安井信雄院長市議当選(4選) 地域における健診活動開始 伊勢湾台風による水害の救護班を送る |
安井病院 元事務長
藤井 洋一
京都民医連第二中央病院は前身である社団法人信和会安井病院のあゆみを受け継いで、今年50周年を迎えました。私は信和会の開設、病院の創立から関わってきたものの一人として、今日の法人の事業活動に触れ、また病院の姿を見て心より喜んでいます。
一言、感想を書いてほしいとのことですので、草創期のころのあらましの様子について述べたいと思います。詳しくは「信和会・安井病院、四半世紀のあゆみ」と「社団法人信和会安井病院30年史(年表)」を参照して頂きたいと思います。
信和会・病院が活動をはじめた1955(昭和30)年は、アジア・太平洋地域での侵略戦争に日本が敗れてちょうど10年がたった時でした。戦後の荒廃・疲弊した社会・経済がようや漸く復興しつつあり、国民の暮らしにも平和がもどりつつある時でした。
しかし、当時の働く人びとの暮らしはまだ、その日その日の糧を得るだけで精一杯で、病院周辺の地域では医療機関で受診する際は、日雇健康保険や生活保護が多く、まだ国民健康保険もなかったので、私費扱いの患者さんも多数でした。地域の人びとにとって医療を受ける権利は保障されず、遠い存在でした。
安井病院(現・京都民医連第二中央病院)はこの地域の方々の“いつでも安心して良い医療が受けたい”という切実な願いと強い期待のもとで、病院建設資金の基金協力や患者紹介など物心両面にわたる励ましをうけて作られました。
同時に、京都民医連に加盟し、「働く人びとの医療機関」として地域の方がたの医療と健康を守るために日夜をわかたず活動してきました。私はいま、当時病院作りに協力して下さった患者さんや地域の方がた、また労苦を惜しまず医療活動に専念してきた初代院長・安井信雄先生や副院長・山本弘先生をはじめとする職員の皆さんの姿を思い出しつつ、この一文を書いています。
私はこのたび、法人及び病院の半世紀を記念する機械に会えたことを嬉しく思うとともに、50年に亘るあゆみを通じて今日の成長、発展につく盡してこられた全ての関係者に対して心より敬意を表します。
信和会開設・病院創立50周年 おめでとうございます。